世界の片隅でただ一人生きる

初ブログ 恥の上塗り 回避性のパーソナリティ ネット社会に乗り遅れた人間

リハビリ

やはりそうだった。このようなことが向いてないことはわかっていた。文章を書くことすら自分にはとても億劫であるし、まず毎日頭の中では戦争状態なのでそれを戦うことで精一杯だ。

だからこうして書いていても頭の中は何もまとまらないし、きちんとした文章を書かなくてはという事すら考えられない。

しかし何かの形を残すことはしなければならないので頑張って書いて迷うと思う。

回避性人格障害という言葉を聞いたことがある人はいるだろうか。

僕はこのように何でもカテゴライズして病名をつけたりすることはとても危険な事であるし、そこにアイデンティティがのっかる危険性があるので好きではないが、この特徴に著しく当てはまっている。

決して人自体に興味がないわけでも嫌いでもない。事実学生時代などは特にそのことで悩んだらはしたことがなかった。

ただ社会人、労働者となるとそれまでのピエロでは生きてはおかなかったという事だ。

そのおかげで離婚もすることになったり(それについては今は割愛)様々な苦労があったし今も悩まされ続けている。

傷つくことが恐ろしく怖いので自ら幸せを手放したり、急に連絡をたってしまったり、これらの行動は理解しがたいもので自分でもまたか何でだとその都度自問自答するが理性でコントロールできるものではなく、とにかく敵のいない1人の空間を求め彷徨うようになる。

結果一人暮らしのほぼ引きこもりという立場になるわけだがこれは必然だし、実際ずっとそうできるならしたいとも思っていた。

勿論頭が回らず生きる尸状態になってまだ生きていたくはないので死ねれば一番いいというのはずっと変わらないのだが。

このブログの最初の記事あたりに引っこしをしたのだから、公営住宅の為近隣の住人と何かと共有しなければならずこれば大変苦痛である。

こうなることはわかっていたのに家賃の安さで安易に引っ越してしまったことで前よりも精神的な状態は悪化している。

今はどうにかしてまた普通のアパートで暮らしたいと思っている。この人に対する過敏な程の警戒心は恐らく後天的なものであるし、本当に損をしていると思うし、どこにこのわだかまりをぶつければいいかわからないのでここに書いてみた。

 

一応今の感情のまま書き殴ってまたもののこれでは何の意味もない気がする。

だけど今の僕ではこれが限界。誤字チェックする気力もない。またかける時に書いてみよう。