世界の片隅でただ一人生きる

初ブログ 恥の上塗り 回避性のパーソナリティ ネット社会に乗り遅れた人間

ぐちゃぐちゃ

頭の中は常にこんがらがり言葉にできない感情が蠢いている。

支離滅裂で文章にすることができない

最後に頭のもやがはれたのはいつだっただろうか。もう思い出せない。

NHKでやっていたひきこもりの特集は未来の映像を見せられているようで絶望した。だが予想していた通りだった。

私は孤独死は怖くない。そこに至る時間が恐ろしいだけだ。訪れるなら今訪れて欲しいなんて望みは傲慢であるが、何百年後には望めば安楽死できる世の中になっているだろうか。

あの人達がどうかはわからないが、幸せな記憶が全くないのだとすれば、一時の幸福を知るよりも寧ろ幸運なのかもしれないとも考えた。

もう2度と戻らない幼い息子の幻影を拭い去ることができず、私はまた一から仕事をして女とあって結婚するというような人生を構築していく気力も無くなってしまった。いくら何かを頑張っても私が本当に求めたものはもう2度と帰ってはこない。

唯一会っていた友人も家族を持ち疎遠になった。今思えばちょうど彼も一人だった時に都合良く私がいたというだけの話なのかもしれない。彼は親子関係も良好で満たされて育ちそれによる余裕が常にあり私が病気を患ってからはどこがで嫌味を言いたくなるような気持ちを持ってしまっていた。

いつからこんなふうに考えるようになってしまったのか。そんなふうに考えてしまう自分も本当に嫌いだ。客観的に見ればこんな男に付き合ってくれていただけいい奴だと感謝しないといけない。実際しているが、その時点で対等な関係ではなくなっている。私女性ならまだわかるがいい歳をしたおっさんが昔の友人に依存するなんてこれほど情けないことはない。もう子供の頃とは違う。きっとNHKに出てた人たちも時が止まってしまったんだろう。私にはその気持ちがよくわかる。その時のまま旧友に連絡などしてはいけないことも学んだ。ライフステージを着々と歩む人間とは時間の感じ方が違う。

自分はもう実際は死んだように生きている分けだから。

 

いつかちゃんとした文章が書けるようなるだろうか 構成まで考えられる頭の余裕ができるだろうか いまはただ浮かんだ言葉を殴りがくだけだ

労働苦

文章を書くのは労力がいる。

元々書いてストレスを発散するタイプではなく、何しろ普通に生きているだけでいっぱいいっぱいの状態である。

誰に見られるわけでもないのにちゃんとした文章を書きたいという吐き気のする自己愛の強さ

メールを返信するのに何分も考えてしまうし、

時折ライブ配信なんかを見たりすると反射的に今思ったことを口に出すように書いたりする人がたくさんいる。私にはできない。下手なことはできない。失敗はできない。会ったこともないような人々であってもそんな風に思う。

前に進むことが恐ろしいしそれは主に労働に対する恐怖心。20代前半までの自分と比較すると予期せぬ様々なトラブルがあったにせよ、根本はこれだ。最初にアルバイトをした学生時代から薄々感じていた。労働になると人は変わる。学生時代の友人もおそらく仕事であったら誰も仲良くなったりできなかったはず。

機能不全家族で育った事や様々な要因があるが、あのように人格を切り替えて演じるように仕事をしたりする事が私にはできない。

元来人が嫌いなわけではなかった。特に学校が苦手なわけでも内気なタイプでもなかった。

社会と学校では問題がまるで違うのだ。この辺りに言及している人はとても少ない気がする。

今はいないが心を許せた友人と二人で語り合うのはとても好きだった。そういう人が何人かいたがいつもそれぞれ別の人間でも二人だった。

おっさんになるとそういうこともなくなる。何故だろうか。結婚をしてもその時間の代わりになるようなもので私はなかったが、これは家族という存在の受け止め方の違いだろう。

ずっと僕はモラトリアムの中でそうしていることが好きだった。時間止めることで私は自分を守ったが世界や他の人間は移ろい成長して今は忘却の彼方にいる。

また頭が回らなくなってきた。うまく言葉にできないので頭を働かせる薬が欲しい また書く

 

わからないことや現実の恐怖

ネットで自分の意見を言うことは匿名ですらとても勇気がいる

 

例えばこれを知り合いにみられたらと思うと地獄である

 

だから顔を出したり本名で活動したりはできない。

 

最近始めたTwitterも知ってる人間には教えられないだろうし

 

だから普通の人がその辺どう思ってるのかが気になる

 

snsが苦手な理由はつながりを恐れているからだろうし、自分な内面をさらけ出すことに恐怖がある。

20代後半からずっとこの調子で悶々としている。

もういい加減にしたい。恥ずかしいし大人としてちゃんとしたいと言う思いが最近少しずつ出てきた。というのもみんなこのくらいの年になると自分と同じような感じだった友人もそれなりに大人になっていたりする。

私はその間ずっと同じような生活で同じようなことにずっと囚われ苦しんでいる。恥ずかしくみすぼらしくなって生きてしまうという一番嫌だった現実がもうそこまできている恐怖。いやもうすでにそうなっている。

いつまで他人を気にして生きるのか。

10代ならまだ危うい空気感も絵になるだろう。自分はいやらしい人間だからそれもわかっていた。ただこんなにも自分が根本的に弱い人間だというのは想定外だった。メンヘラのおっさんなんかになるくらいなら本当に今すぐ死にたい。

だからネットでそういったコミュニティーに参加した事もあったが客観的にみてしまいそんな自分が許せず情けなくなってしまった。その人たちを否定するわけじゃない。僕は要するにどちらの側にもいけない人間であるしおそらく一番孤独になるタイプだと思う。そして世間的にもあまり認知されてない。

今書いてる文章もなんの構成も考えてないし頭に浮かんだことをそのまま書いている。いつか自分が正常になったらちゃんとした文章を書きたいと思うが。

リハビリ

やはりそうだった。このようなことが向いてないことはわかっていた。文章を書くことすら自分にはとても億劫であるし、まず毎日頭の中では戦争状態なのでそれを戦うことで精一杯だ。

だからこうして書いていても頭の中は何もまとまらないし、きちんとした文章を書かなくてはという事すら考えられない。

しかし何かの形を残すことはしなければならないので頑張って書いて迷うと思う。

回避性人格障害という言葉を聞いたことがある人はいるだろうか。

僕はこのように何でもカテゴライズして病名をつけたりすることはとても危険な事であるし、そこにアイデンティティがのっかる危険性があるので好きではないが、この特徴に著しく当てはまっている。

決して人自体に興味がないわけでも嫌いでもない。事実学生時代などは特にそのことで悩んだらはしたことがなかった。

ただ社会人、労働者となるとそれまでのピエロでは生きてはおかなかったという事だ。

そのおかげで離婚もすることになったり(それについては今は割愛)様々な苦労があったし今も悩まされ続けている。

傷つくことが恐ろしく怖いので自ら幸せを手放したり、急に連絡をたってしまったり、これらの行動は理解しがたいもので自分でもまたか何でだとその都度自問自答するが理性でコントロールできるものではなく、とにかく敵のいない1人の空間を求め彷徨うようになる。

結果一人暮らしのほぼ引きこもりという立場になるわけだがこれは必然だし、実際ずっとそうできるならしたいとも思っていた。

勿論頭が回らず生きる尸状態になってまだ生きていたくはないので死ねれば一番いいというのはずっと変わらないのだが。

このブログの最初の記事あたりに引っこしをしたのだから、公営住宅の為近隣の住人と何かと共有しなければならずこれば大変苦痛である。

こうなることはわかっていたのに家賃の安さで安易に引っ越してしまったことで前よりも精神的な状態は悪化している。

今はどうにかしてまた普通のアパートで暮らしたいと思っている。この人に対する過敏な程の警戒心は恐らく後天的なものであるし、本当に損をしていると思うし、どこにこのわだかまりをぶつければいいかわからないのでここに書いてみた。

 

一応今の感情のまま書き殴ってまたもののこれでは何の意味もない気がする。

だけど今の僕ではこれが限界。誤字チェックする気力もない。またかける時に書いてみよう。

 

はじめよう

今日から少し書いていこうと思う。

僕は今33歳。絶妙な年齢だと思う。

僕はもうさっぱり気力がなくなってしまったし、何一つ興味が湧かなくなってしまった只の生きる屍である。

このようなブログを書くという行為さえ、自分にとってはハードルが高くまた愚行のようにも思え、何よりその気力すら湧かなかった。

しかし、いよいよ現実できに色々とまとめないといけないと感じ、しかしながら全く頭の中はぐちゃぐちゃなわけでとりあえず現在の心境を残していこうと思う。

このような文章はいったい誰に向けて書いているのかもよくわからないが、今はただ頭の中の湧いてくるウジ虫をこの場に吐き出していかないといけないと思っている。

snsはとても苦手なのだが、それもおいおいやっていくかもしれない。

今現在生まれ故郷である群馬の山奥の温泉にいる。午前2時。当然誰もいない。故郷とはいっても誰とも会っていないし、今はここには住んではいない。

ここに来た理由は現在住んでいる都会の部屋にエアコンがなく、今年の夏の攻撃的な暑さにたまらず飛び出してしまったというわけだ。とはいえ、海外などはいけないので、思いついたら格安レンタカーを借りてここに来ていた。

もうここには知り合いはいない。いやいるのかもしれないが会いたくはない。

現実的にはもうとっくに死ななければならない人間だと思っているし、行きていることがとても恥ずかしい。

いい年した大人がこのようなことを恥ずかしがもなく言えるのはこういった場所ならではかもしれない。

中二病とはよくいったものだと思うが僕は永遠そこから抜けられなく、気力だけが亡くなった状態であると思う。

自分がなぜこのような状態になったのかこれから書いて行きたいと思う。